出産時のトラブルによりアプガールスコア1点で救急搬送されたのが人生のはじまりだった我が子。最初は再重装備に囲まれた保育器の中で、何日命が持つかと見守るのも恐かったけれど、人工呼吸器が外れてなんとか保育器から出ることができて、固まった手足のリハビリをして、自立歩行ができたときには主治医から「奇跡のようだ」って、とても喜んでもらったね。
ストレッチャーや車いすや、補助靴を履かなくても歩けるようになると、次は‟知的な遅れ”というワードが療育の先生から懸念され始めた。。言葉が出ない。色々な本を読みメソッドを試し、やっと幼稚園。受け入れてもらえる普通の幼稚園を求めて転居。そして小学校。どの段階も目一杯で次の目標を掲げるような余裕もなかった。おしゃべりができない、多動、理解ができない。だから、訓練はあっても習い事なんて考えてもみなかった。。。
そんな中、喋らない彼の鼻歌を聞いていたお母さんたちから「きれいな声よね」と言ってもらうようになっていることに気づき、音楽を教えてもらえる先生につくことができないだろうか、と思ったのが4年生の時。ピアノを志して小さいころからレッスンをしている周りの子どもたちがもう、バッハとかショパンとか弾いていた頃。
歌を習おうとおもって門を叩いた先生がピアノもできる、といってくださり半信半疑で始めて以来、
無欲の練習のあとについてきた、地域のコンサートやソロコンサート。そしてまた、大ホールでピアノ協奏曲を弾かせてもらえることになった・・・。ありがとう。